8月15日、終戦の日に父が遺した記憶|ビルマで戦死した父と戦後を生きた家族

8月15日、終戦の日に

父が遺した記憶

8月15日。

終戦の日になると、私は父から聞いた話を思い出します。

父は、戦争で父親を亡くしました。

父親はビルマで戦死しました。

その知らせを受けたとき、父はまだ7歳でした。


7歳の少年が山を越えて

父親の遺品を受け取るために、7歳だった父は奈良県まで三重県の高見山を越えて歩いたそうです。

何時間も歩いたのでしょう。

幼い身体で長い道のりを歩き、ようやく受け取ったのは、白い布に包まれた骨壺でした。

その骨壺を大事に首から下げて、家へ持ち帰りました。

7歳の少年が、父親の骨壺を首から下げて山道を歩く。

その姿を思うと、今でも胸が詰まります。

家に帰ってから、父は家族と一緒に玉音放送で終戦の知らせを聞きました。

戦争が終わった。

けれど、父親は帰ってきません。


残された家族と生きた戦後

父の家には、母、弟、妹、祖母が残されました。

父は、家族を支えるために、大人に混じって働きました。

戦後の復興の中で、山に杉や檜を植える仕事にも携わりました。

一本、また一本。(※復興のための植林政策です)

山に木を植えながら、家族の暮らしを支えました。

戦争が終わったあとにも、残された家族には生活があります。

帰ってこない父を待つ時間があります。

家族を守るために働かなければならない毎日があります。

父は、そんな時代を子どもとして生きました。


ある日、骨壺を開けた

戦後の混乱の中ですが、49日を迎える前に家族で納骨することになりました。
お墓は家の向かい側にある梅畑と茶畑の間を整地して作られました。
家族を見守ってくれるようにと、建てられた私のお爺さんのお墓です。

それまで大切に拝んでいた骨壺を、開けることにしました。

白い布に包まれた骨壺。

家族は、厳かな気持ちで蓋を開けました。

そこに入っていたものを見て、家族は言葉を失いました。

空っぽだったのです。

骨は一つもありませんでした。

父親の遺骨だと思って、大切に首から下げて持ち帰った骨壺。

その中には、骨一つ残っていませんでした。

父は、その話をするとき、

「それが戦争だよ」

と言いました。

私は、その言葉を忘れることができません。


「ビルマの竪琴」を見て泣いた父

父は映画「ビルマの竪琴」を見ると、いつも泣いていました。

いい大人が、目を真っ赤にして泣いている。

子どもの頃の私は、その姿を見ていました。

映画の中に描かれる戦場。

故郷を思う人々。

帰ることのできなかった人々。

それらを見ながら、父の中にどんな記憶が蘇っていたのでしょう。

7歳のときに亡くした父。

山を越えて持ち帰った白い布の骨壺。

そして、後に開けた空っぽの骨壺。

父の涙の理由を、今の私は少しだけ想像できます。


8月15日に思うこと

戦争は無残です。

命を奪い、家族を引き離し、残された人の人生にも深い傷を残します。

戦争が終わっても、その記憶は終わりません。

帰らぬ人を待つ家族がいます。

父を知らずに育った子どもがいます。

家族を支えるために、幼い頃から働いた人がいます。

そして、何十年という年月を経ても、映画を見ながら涙を流す人がいます。

父が生きた人生の中には、戦争の記憶がずっとありました。


平和な今日に感謝して

今、私たちは家族と暮らし、食事をし、子どもたちは学校へ通い、好きなことを学ぶことができます。

そして、静かな場所で筆を持ち、一枚の半紙に向かうこともできます。

この穏やかな日々を、私はありがたいことだと思っています。

8月15日。

戦争で命を落とされた多くの方々を思い、静かに手を合わせます。

日本を守るために命を捧げられた方々。

故郷に帰ることができなかった方々。

家族を残して旅立たれた方々。

その御霊に、心から感謝申し上げます。

靖国神社や護国神社に足を運び、手を合わせることも、亡くなられた方々を思い、感謝を伝える大切な時間だと私は思っています。

その祈りは、日本人の心から生まれるものです。


父から受け取った記憶

父はもう、その話を直接聞かせてくれることはありません。

けれど、父から聞いた話は私の中に残っています。

7歳の少年が、白い布に包まれた骨壺を首から下げて山を越えたこと。

家に帰り、有線放送で終戦を知ったこと。

残された家族のために働いたこと。

山に杉や檜を植えたこと。

そして、家族で骨壺を開けたとき、中には何もなかったこと。

骨一つ返ってこなかったこと。

父が残してくれた言葉。

「それが戦争だよ」

8月15日。

私はその言葉を胸に、静かに手を合わせます。

戦争のない日々が、これからも続きますように。

子どもたちが平和な時代を生き、安心して未来を描けますように。

そして、戦争で命を落とされたすべての方々の御霊が、安らかでありますように。

合掌。


月兎教室から、8月15日に

筆を持ち、静かに文字を書く。

そんな穏やかな時間を持てることも、平和な日々の中にある大切な幸せの一つです。

一枚の半紙に向かいながら、今日という日を大切に過ごしたいと思います。


長文お付き合いいただき、ありがとうございます。

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8月15日、終戦の日に父が遺した記憶|ビルマで戦死した父と戦後を生きた家族” に対して2件のコメントがあります。

  1. touka より:

    読んでいて胸がいっぱいになりました。
    家族を支え続けた7歳の少年が大きくなって、老いて行く姿を思い浮かべました。
    すごい生涯ですよね。忘れてはいけないと思いました。

    1. コメントをありがとうございます。
      返信機能の使い方が分からず、お返事が遅くなってしまいました。
      温かいコメントに、胸を熱くしています。

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